高島易断に
ついて

高島易断の歴史

高島嘉右衛門は天保三年(1832年)11月3日に生まれました。
少年の頃から商才を発揮し、父の跡を継いで江戸にて材木商を営み、 「易経」習得後は横浜に定住し、高島呑象と号して易理を持って人々を導くようになりました。

呑象は易を世に広める傍ら、事業家としても多くの事業を営み、 日本で初の本格的な和洋折衷洋式ホテル「高島屋」を建立しました。 三条実美・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・大隈重信・福沢諭吉ら当時の明治政府の殆どの要人が、 皆高島屋を利用したため、彼らを立筮し交際を深めることが出来たのと同時に欧米の最新情報を得ました。

他にも、東京~横浜間に日本で最初の京浜鉄道を敷設、日本で初のガス会社を創立など、 主なものでも数多く現世に残る事業を行ない、これらの功績が認められて民間人としては 初めて明治天皇より「正五位勲四等」を贈られました。 その後、彼は実業界から身を引き、易学の研究に没頭しました。

首相の伊藤博文とは、博文の長男博邦が呑象の長女たま子と結婚していることもあり、 特に親交がありました。彼が博文の満州行きを占って大凶の占と判断して、 博文に旅行の中止を進言しましたが、博文が満州へ赴き、ハルピン駅頭で凶弾に倒れたのは余りにも有名な話です。
大正3年10月17日未明、享年83歳にて息を引き取りました。

高島易断の易占は、高島呑象扇が古代中国発祥の易を生涯にかけて発展進化させてものです。
現在諸々の団体がありますが、私達は、原点である呑象易を継承しております。

創始者 高島呑象翁

易学について

易学とは、今から6500年程前の中国で太昊伏犠によって八卦が出来、
文王・周公により易経として体系確立し、孔子により王経として大成され、国家万民の為に活用されてまいりました。

古人も「人相は入りがたきも得やすく、易占は入りやすきも得がたし」と述べているくらい、
人の運命を断ずることは難しいことです。

高島易断では、「仁・義・礼・智・信」の秘伝をもとに、
不運・不遇に遭った方の出口を見つけ、更なる発展や盛運の維持にも役立たせております。

人生の成功は個々によって違います。

易は、貴方の置かれている運命の現在地と行き先を知る為の方法です。
その上で、貴方の成功(ゴール)に対して、どの方向に舵をとるかが成功の鍵となります。

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